♪ cocorotte な毎日 ♪

「こころってなぁに?」と問いかける毎日。cocorotte(こころって)濱田アキのブログです。

地上の私と、お空の私。

ものがたりのお話の続き♪

 

私の感情を自由に語る、私が作ったキャラクター。

 

そのキャラクターは、世の中のどんなことでも、すでに答えを知っているんです。

表面的ではない、根幹の答えを持っているのです。

自分さえ望むなら、その身体を抜け出して、意識を高く高く昇らせることができる。

だから、いつも視点は高く、微笑みを浮かべ、ゆったりと存在している。

 

地上の私は、時折空を見上げ、架空の私に話しかけます。

 

「ねえ、これをどのように捉えればいい?」

 

お空の私。

「ふふ。そんなこと、とっくに分かっているクセに。ふふ♪」

 

あら?

答えを知っているのはいったいどっち?

 

******

 

里子ちゃんと頻繁に起きる会話。

 

アキ「これって、こうじゃなかった?」

里子「そんなの分かってる!」

アキ「これってこうすればいいんじゃない?」

里子「知ってたもん!」

アキ「じゃあこれは?どうやるんだった?」

里子「・・・(首かしげる)」

 

あなたも、全て分かって全て知っているのよ、ね?

時々それを忘れちゃうってだけのことよ、ね?(笑)

 

お仲間やね(笑)

 

 

『ものがたり』に私を語らせよう

皆さん、こんにちは。

 

私は、感情を感じると、どうしてもとことん掘り下げずにはいられないのです(なぜこんな性質になったんだろう・謎)。

 

疲れ果てていても

傷ついていても

どんな時も

とことんまで・・・

(なぜこんな性質に・・・汗)

 

そしてあるところまで到達すると、いきなりぽかりと浮かんだ感じになるんです。

 

あら!おもしろい!!

 

って。

 

そうなると、文章で表現したくなります。

 

でも、心の動きを自叙伝のように語るのはイヤ。

 

そこで登場するのが『ものがたり』です。

 

感情を私からひっぺがして、代わりにキャラクターに表現してもらうのです。

 

そう言えば、それをちっちゃい頃からやってたなぁ。

 

「私は こうです」

は言いにくいから

「◯◯ちゃんは こうでした」

とする。

 

らくちん。

 

過敏なちっちゃい私も

らくちん。

 

 

 

『閉所箱詰』に果敢に挑戦!

皆さん、こんにちは。

私が小さい頃から、(今は亡き)父が私に良く言っていたこと。

なるべく「これじゃないとダメ」というものをなくすように
なるべく「これは絶対イヤだ」というものをなくすように

ストレスを人一倍感じやすい私に、なるべく選択肢をふんわりとたくさん持っておくように、という気持ちだったと思うのですが・・・

おかげさまで、苦手なことも果敢に挑戦するように!!

成果は・・・

→克服(80%)
→トラウマに(20%)

という・・・(あかんやん...)


・・・と言うわけで・・・

週末は最大の苦手項目である

『逃げようのない小スペースに箱詰めされること』

に果敢に挑戦して来ます!


こ、乞う!ご期待・・・(誰が・・・?)

欲しくないふり。見ないふり。健気なちっちゃい子ども。

こころから取り出した
やわらかくて こころもとないものを

でも自分としては
一番大切なものとして

おそるおそる 差し出してみる


「わあ うれしい ありがとう」


!!!

おそるおそるだったので
かえって
あわあわあわとなって
すっごく汗をかいたんだけども

ウレシイナ・・・
ウレシイナ・・・

ダイスキ・・・


こころのからまりが ほどけていく

本当は欲しいのに
欲しくないふりしていた
長年のからまりが
ほどけていく

******

人と関わっている中で、
何でもない出来事によって
ちっちゃい頃の自分が垣間見えることがあり
そんな時は
身体中がぎゅうっと甘い感覚で包まれるのです。

その「ちっちゃいちゃん」をとっつかまえて
もう少し掘り下げれば
自分が癒される術が見つかるのかも知れない。

でも、私は
せっかく見つけた「ちっちゃいちゃん」を見ないふりして
ただその出会いの輝きだけを
こうやってコソコソ文字にしているのです。

オトナってキタナイ・・・(笑)


ちっちゃい時から続けていた
「欲しくないふり」

大きくなったら
「見ないふり」


もう、まったくほんとに
私ってやつぁ・・・

と言いながらも、
輝きを捉えてコソコソ文字にする。

ごめんね、ちっちゃい私。

『性の多様性』を考える日々。多様な性を持つ者として。

みなさん、こんにちは。


ある方から『性の多様性』についての資料をいただきました。
読ませていただくと自分の中のもやもやが晴れて行くような気がしました。

ここ最近私がやっていることは「ところでそもそも『性の多様性』とはどういうことなのか」の掘り下げでしたので、とてもありがたかったです。
(M先生、本当にありがとうございました)


私は心の支援として、

「性」の内容を扱いながら
性的マイノリティのカミングアウトを強要せず
(もちろんしたかったらしてもいい)
カミングアウトをしなかったからと言って
心への働きかけとして何も変わらない

そんな、道を模索していました。


なぜなら、「性」のことはマイノリティ(と自分で自覚できている人)だけのものではなく、普段は「性」のことを意識することのない人たちももちろん「性」の当事者であるからです。

「性」の当事者であるということは、多分ほとんどの方に「性」にまつわる心に秘めていること(痛みや恥などのネガティブ方面)があることでしょう。

その秘めている部分が、自分の歩みを止めていたり、自分自身を苦しめていたり・・・。

そういう視点で考えると、真実の「カミングアウト」は100人100様。
「性的マイノリティである」というカミングアウトは、(私の活動の目的からすると)表面部分に過ぎないのです。


「カミングアウト」に焦点を当てるのではなく、「性」を自分のことと捉えて欲しい。

それが私の、『性の多様性』についての心の支援活動ではないかと考えています。


しかし、私のこの考えは、活動内容をとても分かりにくいものにしています。

『性の多様性』についての活動だけれども、性的マイノリティだけの支援というわけではありません・・・

と言うような。


だから、その対策として、私が自覚できる範囲では、私は私のことをなるべく詳しくカミングアウトし、考え方や感じ方を都度都度表現して行く。
私が何を考えているかぐらいは、なるべく透明にしておく。
「どうやらカミングアウトしろと言っているわけではないようだ」ぐらいには感じてもらえるよう。


試行錯誤しながらたどり着いた考え方。
この日は「このままGO!」を出すことができました。

感じていることが現実とは限らない

私は、一ヶ月の中で、激しい気分のアップダウンがある。

 

アップの時に、大きな風呂敷を広げてしまい、時にはお店まで開いてしまい・・・

 

ダウンの時に、大きくなり過ぎたところは回収して回るという・・・

 

(比喩です)

 

気分にばかり目を向けていると、いったい何を現実として捉えればいいのか分からなくなって来る。

 

私は、気分や感情が蠢くことを味わっていたいけれど、でも、日常生活に支障をきたすまで現実を離れたくないので、そこが基準かな。

 

QOLへの影響。

 

どれだけ気分のアップダウンを味わっていても、日常生活がちゃんと送れている。

 

もう、何が現実か分からなくなってしまったら、そこを検証するかな。

 

言葉が通じる工夫をしなくっちゃ。

そうね。

世の中の言葉が私に通じないように、私の言葉だって誰にでも伝わるわけないよね。

 

何語(何言葉)に訳すと伝わるんだろう。