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♪ cocorotte な毎日 ♪

「こころってなぁに?」と問いかける毎日。感情とセクシュアリティときらめきでできている毎日。

結婚9年目にして夫へのインタビューを試みる

ここ数日、久しぶりに私たち夫婦をよく知る友人と語り合って
視界が広がる感じがした。

そう言えばしばらく
夫婦2人だけで過ごす時間が多かった。


当たり前のことだけど、
2人だけで過ごしていると、
私の見方でしか夫を見ることができなかったし、
私の見たいようにしか夫を見ることができない。


友人視点で私たちの見方を表現してもらうと
ようやく密着していた夫婦関係に息ができる隙間ができる。


私が毎日見ていた
毎日当たり前のように隣にいるこの人は
一体誰だったんだろう。


この体験をしてから、
今さら
本当に今さらながら
夫にインタビューを始めた。

「これって、こう感じる?」
「これって、こう考えてるんだよね?」

夫の感じ方。
夫の思考回路。

少しでも分かろうとしたことがあったっけ。
(いいえ、ない)

夫の驚愕の答え。

「違う」
「そうじゃない」
「そういうことじゃない」

私が理解していると思っていたことって・・・!
私が分かっていると思いこんでいたことって・・・!


夫へのインタビューは続く。
長い旅になりそう。

イロ会(GID(性同一性障害)に関する交流の場)へ参加して来ました。

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きょうとイロ代表・真鼻弘美さん(左)と。

私にとって、当事者・支援者に関係なく
セクシュアリティと社会の関係」に
関心を持っている人との語らいは歓びの時間。
弘美さんとはいつもノリノリでお話します。
楽しい!
(なので、濱田はハシャギ顔・笑)

******

京都で発足された
セクシュアリティ(性)、
特にGID性同一性障害)に関しての
情報発信と交流の場
『きょうとイロ』様
kyoucolor.racms.jp

12月18日(日)第二回交流会に参加して来ました。

今回の交流会のテーマトークは
GIDの就労』

参加者がご自身の体験している位置からの見解を
自由にお話します。

GIDに関する課題は、
答えが一つではないし、
答えは人それぞれ異なるし、
着地点が得られにくいことですよね。

私がこの交流会を気に入っている点は
1)参加者が、体験していること・感じていることを率直に話せること
2)1)によって、参加者全員が幅広い見識を得られること
3)自分の仮定に答えが出て、次の仮定へ行動を移せること
です。

この交流会自体は、答えを出すことが目的ではありませんが、
自然と、自分の疑問へのヒントや確信が得られるのです。


私は、当事者の配偶者でもあるし、支援者という立場でもあり、
その立ち位置から感じていることをお話しました。

参加者の皆さまが、
「へー!」
「ほー!」
と聴いてくださるとやはり嬉しい。

私は、やはり、役に立ちたいのですね。


次回の開催は3月5日(日)京都です。
今後のイベント|きょうとイロ

GIDの支援を
外側から眺めて探すのではなく
様々な専門性を持つみんなでエイヤッと飛び込んで
知恵を出し合う。

ぜひご一緒に。

今回実感したのですが
『専門性』って、
ご自身の立ち位置で体験していることを
なるべく詳しく披露してくださること。

言ってみれば
「自分自身をとことん体験する」
ということなのだなぁと。

それが、参加者全員の知恵となるのですね。

だから必ずしも
『専門性』=肩書きや職業のみとは
限らないのではないかと感じました。

ビジョンマップとクリスマスパーリィーで2017年の準備

毎年恒例のビジョンマップを作る会。
(&クリスマスパーリィー)
友人と夫と計6人で作った。
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私のを拡大

テーマは『イメージと成果』

目に見えないものを感じ取りながら
地に足をしっかりつけて
成果を得て行きたい。

******


『だぁいすきな人と
永遠に一緒にいられますように』


ビジョンマップを作るため
雑誌等の切り抜きをしながら

結局私という人間は・・・

と、私の想いを集約させて行く。


どんなビジョンを思い描いたとしても
自分の根幹の想いと繋がっているはず。


『ビジョン』とは「体験」。

自分のお気に入りの体験。


結局私という人間は・・・

どんな体験をするのが好きなのかな。

そう思う時、
もうすでにビジョンの体験をしている。

******

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2016年もこだわり(ただの頑固者)の濱田家でいられた。
夫が作った丸鶏を見ながら満足感に浸る。

ビジョンに対して
幸せに対して
「食」に対して(笑)
決して妥協はしませんよっ。

『先生』と『スイーツ』が結びつくワケ

小学一年生の頃の私のお話です。

 

 

アキ

せ・ん・せ・い♡」

 

先生

「あら、どうしたの?

まだ帰ってなかったの?

早く帰るんですよ」

 

アキ 

「はぁい。

せんせい、

さようなら」

 

先生

「はい、さようなら。

気をつけてね」

 

(ガラガラ、ピシャッ(アキ、戸を閉める))

 

1分後

 

(ガラガラ(アキ、戸を開ける))

 

アキ、顔を見せる

 

先生

「あら?どうしたの?

帰ってなかったの?」

 

アキ

「うん」

 

先生

「早く帰るんですよ」

 

アキ

「はぁい。

せんせい、

さようなら」

 

先生
「はい、さようなら。
気をつけて帰るんですよ」

(ガラガラ、ピシャッ(アキ、戸を閉める))

 

1分後

 

(ガラガラ(アキ、また戸を開ける))

 

アキ、また顔を見せる

 

アキ

せ・ん・せ・い♡」

 

先生

「あら?

先生びっくりしたわ。

もう帰ったと思ってたわ」

 

アキ

「えへへ」

 

先生

「どうしたの?

何かあったの?」

 

アキ

「ううん♡」

 

先生

「遅くなるから

もう帰るんですよ」

 

アキ

「はぁい。

せんせい、

さようなら」

 

先生

「はい、さようなら

気をつけてね」

 

(ガラガラ、ピシャッ(アキ、戸を閉める))

 

1分後

 

(ガラガラ(アキ、やはりまた戸を開ける))

 

アキ、またまた顔を見せる

 

アキ

「えへ。

せ・ん・せ・い♡」

 

先生

「もうっ(笑)

あなたって子は(笑)(笑)

先生お仕事中だけど

こっちに来て先生見ててもいいよ」

 

アキ

「!!!♡♡」

 

先生

「少し見たら早く帰るんですよ」

 

アキ

「はぁい♡」

 

 

甘く優しい記憶。

 

傷つく環境に『NO!』を言う

『今日から一歩一歩未来を創って行くしかない』


前へ進んでも進んでも
傷ついて傷ついて

でも、表面上は何も起こっていないのですよ。

あきらかに過去の再体験をしているのです。


チャレンジが美徳と思っている私は
何度も何度も再体験すれば
そのうち慣れて平気になるのかも
と思っていたのかも知れません。

でも、この「傷つく」ということに対しては
大きな間違いでした。

傷つく体験を重ねれば
怖さは倍増するし
自信はぺちゃんこになるし。


そこでようやく気がついたのです。

傷つく環境にきちんと『NO!』を言うことに。


幸い、
「これは傷つく」
「これはキライ」
「これは大キライ!」
ということは、かなりはっきりして来ました。

後は、実際の人間関係で
『NO!』を伝えて行くこと。

でも、これ、、、、、
10年以上前から取り組んでいたんだけど
どこで忘れちゃったんだろう・・・

サンドバッグになっちゃう癖があるから
すぐ忘れてしまうのですね・・・(汗)


心の中のことって、
ついつい自分だけでぐちゃぐちゃかき混ぜて
楽しんでしまうけれど(苦笑)
現実の人間関係の『行動』を変えて行かないと
何も変わらないのですよね。


すぐ忘れる・・・

自分を脱ぎ捨てて、ただ心が動くだけ。

カウンセリング(受ける方)記録。

 

「心が動く」ことについて。

 

 

『私は、私の人生で、一体何を言おうとしているのかなぁ』

 

センセの前で口をついて出た言葉。

 

私の答え探しのクセは一向におさまらないけれど、問いの色合いは大きく変わりました。

 

私は命綱のような、自分の中の芯を手に入れたような気がしています。

 

それは「心が動く」ということ。

 

出会い、心が動くこと。

 

それ以外に何か必要なの?私。

 

その問いにたどり着いた時、神経が過敏なことも、セクシュアリティのことも、すべて脱ぎ捨てていたのです。

 

私は、心が動くことを全てとする人間なのです。

 

そして冒頭の問いかけというわけです。

『私は、私の人生で、一体何を言おうとしているのかなぁ』

 

どのようなプロセスを経ようとも、私は私としてしか生きられない。

 

その内容こそが、私が人生で言いたいことかな。

 

 

カウンセリングの時には、意識的に自分自身でいる。

カウンセリングの時には、思う存分自分を優先してあげる。

 

その環境の中で、ひとつずつ『私の意味』を見つけて行くのです。

 

 

 

傷つきやすい心を持つ人々。

最近、些細な出来事でも、

あまりにも深く傷つくので

「これはマズイなぁ」と思っていた。

 

私の心地良さが

また「まわり次第」になっている。

 

人間関係、めんどくさくって

すぐにこっそり誰かに依存してしまう。

 

やがて、

依存したことも忘れてしまう。

 

忘れちゃうから

ありとあらゆるところに依存を重ねる。

 

そうすると、そのうち

「傷つけられる」体験が頻出して来るのだ。

 

「快」は、あなた次第

「不快」は、もちろんあなた次第

って。

 

傷ついたことを激しく誰かのせいにしながら、

私は「NO」を言えていないなと気づく。

 

いたずらに「不快」を与えられることに、

きちんと自分で「NO」を言おう。

自分の意思で「不快」は「快」に変えて行けると肝に銘じよう。