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♪ cocorotte な毎日 ♪

「こころってなぁに?」と問いかける毎日。感情とセクシュアリティときらめきでできている毎日。

『居場所』って、探し求めるよりも、今いる場所を認めることなのかな。

A heart is brought up 心を育む

皆さん、こんにちは。

皆さんは、今いる場所が自分の居場所だと思えますか?

私は、そう思えないことの方が多いです。

だから、『居場所』とは自分で創り出すものだと考え、さまざまな場を創ろうとしました。

結果、どうなったでしょうか。

どこに行っても、今いる場所から、自分がすぅっとなくなってしまうようになったのです。

身体はあります。
そこで生きて活動もしています。

でも、ここは自分の居場所ではない。むしろ、ここにいてはいけないんじゃないかという気持ちになることが多いのです(それがほとんどです)

これは私のクセのようなもので、今まで無自覚に繰り返して来ました。
最近立て続けに、私が自分で表現しているものを否定・否認するのだという傾向に気づき、このことが明らかになりました。
しかも、この傾向、巧妙で一見正しく見えるものだから、始末が悪い。


私はカウンセラーではない
(カウンセラーだけというわけではないし)
私は表現者ではない
(表現でお金もらっているわけではないし)
私はLGBTではない
(何だか気持ちにフィットしないし)
私は絵本作家ではない
(絵本作家になりたかったわけじゃないし)


確かに、どの( )も間違いではないですね。
どの方向から自分を語ろうとしても、まるで自分の存在のあげあしを取るように、片っ端から否定して行きます。
「だってそうじゃない。間違ったこと言ってないもん」って(笑)

その徹底した否定は何だか壮絶です。
自分が気の毒に思えて来ます。


このことから、『居場所』とは、探し求めるというよりも、今いる場所を認めることではないのかと思い始めました。

『居場所』を創り出すのは、「今いる場所に」ということなのではないのだろうかと考えました。

そこで、今いる場所に自分の居場所を創るトレーニング方法を試みることにしました。
文章を書く際、私は自分の心情を表現することが多いですが、この時に自分の「居る」状況を鮮明にイメージするようにしてみようと。


私は
どこにいて
まわりの景色はどんな感じで
どんな温度で
どんな手ざわりで・・・

その諸々のことがあって、そして初めて

私は、どんな気持ちなのか

ということを意識してみようと。


「居る」ことを意識的に実感しよう大作戦。
私の心にどんな作用をするのかな。